2007年01月23日

新書太閤記【7巻】 吉川英治(著)

豊臣秀吉の小説

新書太閤記〈7〉 (吉川英治歴史時代文庫)
新書太閤記〈7〉


■秀吉の壮大な作戦

中国地方の強国・毛利を攻める秀吉ですが、敵の城は容易に落ちません。

そこで秀吉は、高松城を攻略すべく壮大な作戦を展開します。


■光秀、ブチ切れ!

一方、明智光秀は主君の信長から、徳川家康の接待役を命じられます。

しかし突如その任を解かれ、屈辱的な仕打ちをうけます。

ここにきて光秀の忍耐は限界に達します。


■光秀、爆笑!

光秀はひとり夜空を仰いで大声で笑いました。

ここから「本能寺の変」へのカウントダウンがはじまります。

 
■光秀、爆走!

いよいよ「本能寺の変」です。

本能寺襲撃にいたるまでの、光秀の思考や言動がつぶさに描かれています。

しだいに理性がくもり、歯車が狂っていくのがよくわかります。


■前夜の信長がおもしろい

興味深いのは「本能寺の変」前夜の信長の行動です。

誰と会い、何を話したかなど、普段とまったく変わらない様子が描かれています。

何のへんてつもない夜です。

それが織田信長の最期の夜になるとは…


■秀吉による信長批判

おなじく豊臣秀吉を主人公にした小説に、司馬遼太郎の『新史太閤記』があります。

司馬遼太郎の描く秀吉は、主君の信長に対してその方針に異を唱えたり、心の内で「これが信長という人間の限界か」などとつぶやいてみせる図太さがありました。

しかし本書『新書太閤記』の秀吉は違います。

吉川英治の描く秀吉は、主君の信長をほとんど絶対的に信じてきました。

従順なんです。

しおらしいというか、真面目というか、とにかく信長の方針を絶対視して、ひたすらその実現のために粉骨砕身、励んできました。

それが、この7巻にきてはじめて信長を批判します。

といっても信長に対して直接意見するとか、異を唱えるということではありません。

長年にわたって信長の威圧的な征服活動を見てきた秀吉は、内心ひそかに「ああはなるまい」と思うのです。

引用すれば…

秀吉は多年、それを見て、それに倣うことを避けていた。(7巻54ページ)

という短い一文ですが、これがギラリと光って見えました。

キラリではなくギラリです。

秀吉が信長の前でひたすら隠し通してきた本心が、この一行の中にギラリと光ったんです。


■織田と明智が一致団結

感動したのは、謀反を起こした明智軍と、謀反を起こされた織田軍が、ひとつの目的のために一致団結して事にあたった場面です。

その目的とは、皇族の救出です。

本能寺の近くには、皇族が住んでいました。

信長の息子・信忠は、皇族を戦渦に巻き込まないために、明智軍に対して一時休戦を申し入れます。

戦いよりもまずは皇族を遠くへ逃がすのが先だと考えたのです。

光秀のほうもこの申し入れを快諾。

休戦となります。

皇族は、織田軍と明智軍に固く守られながら、戦火のそとに逃れました。


■人間模様

とにかく「本能寺の変」は天変地異でした。

この天変地異の中で、人々がどう行動したのか、それを読むのが面白かったです。

ある者はいさぎよい死に様で名を高め、ある者はほんの出来心の弱気から卑怯者と呼ばれるようになり、またある者は「次の天下人は誰か?」を嗅ぎ分けていち早く行動します。

そうした人間模様が、1582年6月2日の一日に凝縮されています。

新書太閤記〈7〉