きょうは8月22日です。関ヶ原の合戦を目前にした1600年のきょう、こんな出来事がありました。
徳川家康と伊達政宗の会話。
家康「ねぇ、政宗くん」
政宗「はい、家康さん」
家康「おれさ、石田三成と仲悪いしょ」
政宗「そうですね」
家康「もうすぐマジでケンカになりそうなんだよね」
政宗「あら〜」
家康「もしケンカになったら、おれに味方してね」
政宗「まぁ、それはいろいろ状況を見て…」
家康「100万石あげるから」
政宗「え♪」
家康「おれに味方してくれたら100万石あげる」
政宗「ホントっすか!」
家康「うん」
政宗「ヽ(´▽`)ノわーい♪」
こうして伊達政宗は徳川家康から「百万石のお墨付き」をもらいました。これが8月22日です。
伊達政宗と家臣の会話。
政宗「家康さんと三成さんのケンカ、いよいよ本格化だね」
家臣「そうですね」
政宗「あ、いいこと考えた」
家臣「なんですか」
政宗「このドサクサにまぎれてさ…」
家臣「はい」
政宗「おれも領土増やそうかな」
家臣「どうやって?」
政宗「となりの南部さんを攻めるの」
家臣「でも南部さんは家康派ですよ」
政宗「知ってる」
家臣「仲間じゃないですか」
政宗「気にしない気にしない♪」
政宗はあるグループを後方から支援して、南部家の領土に手を出しました。
一方、関ヶ原の戦いはご存知のように家康の勝利に終わりました。
そして。政宗と家康の会話。
家康「政宗くんさぁ…」
政宗「はい」
家康「おれが関ヶ原で忙しくしてるときにさぁ…」
政宗「は、はい」
家康「南部さんを攻めたしょ?」
政宗「(゚∀゚)ドキッ!」
家康「南部さんは味方でしょや」
政宗「いえ、それは、えーと」
家康「100万石の話は、なしね」
政宗「(;´Д`)そ、そんな」
戦国武将がドサクサにまぎれて領土を広げるのは普通のことなので、政宗のやり方もありといえばありですよね、戦国武将的には。
でも関ヶ原に勝った家康にはとても逆らえる状況ではなく、100万石のお墨付きを反故にされてしまったそうです。ランキングありがとうございます。
よっぽど家康は伊達政宗を味方にしたかったんでしょうね〜。
強かったこともありますし、100万石を約束されることもあったと思いますよね〜そりゃ。
でもそれで石田三成に味方しないでよかったですね。
領土没収になってたかも・・・
他にも東軍が勝ったおかげで大大名になった武将もたくさんいますね。
山内一豊や福島正則、生駒一正など・・・
それと逆に・・・
石田三成に味方した武将達は皆無残になってしまいましたね・・・
三成はご存知のように処刑・・・
宇喜多秀家は島流し・・・
大谷吉継は自害・・・
毛利輝元は領土減少・・・
などなど関ヶ原にも色々とありましたね・・・
まぁ伊達政宗はよかったですね、領土は減らなくて(笑)
政宗は、もしかしたら最初から100万石の話は信じてなかったのかもしれませんね。
それよりも「日本を真っ二つに分けての戦いが始まる!数年は長引くはずだ。よし、そのすきに領土を拡大してやるぞ」というほうに興味があったのかも。
でも意外にもたった一日の関ヶ原の戦いで決着がついちゃって「早いよ!」ってビックリしたのかも(笑)