紀元前の小アジアの歴史家で、ヘロドトスという人をご存知でしょうか。
『歴史』という、ズバリなネーミングの本を書いた人です。
この『歴史』をいま読んでいるんですが、ヘロドトスが面白いことを言っているので、絵をつけて紹介しますね。
ヘロドトスは大昔の人ですから、現在のようにちゃんとした世界地図を知りませんでした。
↑どうやら当時は、おおざっぱにいうと世界をこんなふうに考えていたみたいです。リビアというのは現在のアフリカ大陸のことです。
でも実際にこれを確認した人はいませんでした。
↑そこであるときエジプトの王様がフェニキア人を呼んで「ためしにリビアをぐるっと回って来い」と命じました。
↑つまりこの赤線のルートで航海できるかどうか確認して来いというわけです。アフリカ大陸一周の大冒険です。
↑フェニキア人は3年目にエジプトに戻って来ました。
すごいですよね。リビア(アフリカ大陸)をぐるっと回ってきたんですから。15世紀〜17世紀の大航海時代なみの航海を、紀元前にやっていたんですね。
面白いのはここからです。
戻ってきたフェニキア人たちは、
「昼間、太陽はつねに右手にあった」
と証言しました。
つまりどういうことかというと…
↑フェニキア人の船は南半球を東から西にすすみましたから…
↑彼らにとって赤道は右手(北)にあることになります。だから太陽がつねに右側に見えたんですね。
でもヘロドトスはこの話を信じませんでした。なぜならヘロドトスは北半球の人だからです。
↑北半球の場合、東から西にすすむと、赤道は左手(南)にきますから、太陽もつねに左側に見えます。
だからヘロドトスにしてみれば、
「西にむかって進んだなら、太陽はつねに左手に見えるはずじゃないか。右手に見えるなんておかしい!」
ということになります。
ヘロドトスは著書『歴史』の中で、フェニキア人の証言を「信じられない!」と一蹴しています。
無理もありません。ヘロドトスにとって太陽がつねに右手に見えるなんて、とうてい信じられない話だったんでしょうね。
でも現代の僕たちには、フェニキア人の話が本当だったということがよくわかります。ポチッとランキングをありがとうございます。
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それにしても、あーりーさん絵がパワーアップしてますo(^▽^)o
抽象的さが、歴史にぴったりです。
太い線の方が良い感じですね♪
>世界の形を想像出来ていたんですね。
とはいっても、当時はヨーロッパの北の果てと東の果てがどうなってるかは、よくわかってなかったみたいですよ。
(´∇`)
しかも昌幸は箕輪城から動けないorz
謙信の牽制役としてバリバリ暇です(ぁ
西は早雲以下徳川&北条家臣団、
東は幸村以下太田道灌など関東諸将が攻略してます♪
と、余談でしたね(ぇ
あーりーさんの絵はいつ見てもお上手ですね〜。うらやましいです。
歴史系をまとめてHTML化するのも面白いかもしれませんね!
えぇ!「革新」には太田道灌も出てくるんですか!?やってみたい…。
でもあれですね、北条一号さんの家臣団、すごいメンバーですね。
北条早雲、長尾為景、織田信秀、浅井亮政、尼子経久、大友義鑑などがいますね。
ただでさえ強い謙信、唯一の弱点は知力が低いことなのに・・・
直江兼続やら宇佐美定満やらで知力が増強されてます。
統率136 武力97 知力98
こんなのどーせいっちゅーねん!
へぇ〜。いろいろ出てくるんですね。
とくに早雲や道灌の世代は新鮮で楽しそう♪
アキラさんが、『信長の野望』にカエサルや取律楚材っていう海外組が出てきたって話してましたけど、それも仮想シナリオの一環ってことなんでしょうかね。
「太陽はいつも我が故郷日本の方にある!!」
そしてもうひとつ発見しました!
「月の満ち欠けの位置が逆である!!」
理科の教科書にある「影を見てみよう」というのをやろうとして発見…というのは、検索か何かで偶然僕のブログにたどり着いたということでしょうか。
「太陽はいつも我が故郷日本の方にある」なるほど、そうですね。いい感じです。
そして月の満ち欠けも逆になるのか〜そっかー
(゚∀゚)発見!
いえいえ、信長が終わってしまったので、過去ログも見てみようと思って見ていたらこの記事を「発見」したわけです。
影の実験は4年ほど前、満ち欠けの発見は2年ほど前に気づきました。
そうでしたか(^^)いろいろ見てくれてどうもです♪
北半球に住んでいるだけじゃ気がつかないことってやっぱりあるんですね。
世界は広い…!