アケメネス朝は、服属民にやさしい政治をおこないました。
アケメネス朝は一方で、ギリシアに目を向けました。
↑そして、やたらとちょっかいを出しました。
ギリシアと戦争をしてみたり(ペルシア戦争)、ギリシアの内戦に干渉してみたり(ペロポネソス戦争)です。
やがてギリシア国内でアレクサンドロス大王がリーダーシップを発揮するようになると、「いつもちょっかいを出してくるアケメネス朝をやっつけよう」みたいな空気になりました。
そしてついにアレクサンドロス大王の東方遠征(前334〜前324年)がはじまりました。
アケメネス朝、ピーンチ!
こうしてアケメネス朝は滅ぼされてしまいましたとさ。ポチッとありがとうございます→ランキング
ファランクス戦法と騎馬隊を使った側面攻撃ですね。
とある本では彼みたく騎馬隊を使用できたのは、織田信長とハンニバルだけだと書いてありました。
マケドニアのファランクスは画期的だったようですね。それとブログを拝見しました。自己紹介の「小さな河原でキャンプして焚き火しながらウイスキー」って、いいですね!
それにしても、絵がうまいというのもあるけど、その絵をイメージ化する才能が素晴らしいですね。
(´∇`)絵をそんなふうに言って頂いて恐縮です。
アレクサンドロス大王って、そうだったんですか?それはもしやアショーカ王?いや、僕の勉強不足かな…(汗)
その付属民は「え〜せっかくよかったのに〜」みたいな感じだったのかも・・・
う〜ん・・・絵が分かりやすい・・・
アッシリアが服属民をいじめてキレられて滅亡したので、アケメネス朝はそれを見て学んだのかも知れませんね。
>それはもしやアショーカ王?
面目ない、「仏教に帰依し」の部分はその通り、私の勘違いでした。(汗)
あ、でも征服した土地に図書館を作ったりして融和政策をとったのは事実ですよね。人物名は僕もよく混乱します(笑)