豊臣秀吉の小説
新書太閤記〈7〉■秀吉の壮大な作戦
中国地方の強国・毛利を攻める秀吉ですが、敵の城は容易に落ちません。
そこで秀吉は、高松城を攻略すべく壮大な作戦を展開します。
■光秀、ブチ切れ!
一方、明智光秀は主君の信長から、徳川家康の接待役を命じられます。
しかし突如その任を解かれ、屈辱的な仕打ちをうけます。
ここにきて光秀の忍耐は限界に達します。
■光秀、爆笑!
光秀はひとり夜空を仰いで大声で笑いました。
ここから「本能寺の変」へのカウントダウンがはじまります。
■光秀、爆走!
いよいよ「本能寺の変」です。
本能寺襲撃にいたるまでの、光秀の思考や言動がつぶさに描かれています。
しだいに理性がくもり、歯車が狂っていくのがよくわかります。
■前夜の信長がおもしろい
興味深いのは「本能寺の変」前夜の信長の行動です。
誰と会い、何を話したかなど、普段とまったく変わらない様子が描かれています。
何のへんてつもない夜です。
それが織田信長の最期の夜になるとは…
■秀吉による信長批判
おなじく豊臣秀吉を主人公にした小説に、司馬遼太郎の『新史太閤記』があります。
司馬遼太郎の描く秀吉は、主君の信長に対してその方針に異を唱えたり、心の内で「これが信長という人間の限界か」などとつぶやいてみせる図太さがありました。
しかし本書『新書太閤記』の秀吉は違います。
吉川英治の描く秀吉は、主君の信長をほとんど絶対的に信じてきました。
従順なんです。
しおらしいというか、真面目というか、とにかく信長の方針を絶対視して、ひたすらその実現のために粉骨砕身、励んできました。
それが、この7巻にきてはじめて信長を批判します。
といっても信長に対して直接意見するとか、異を唱えるということではありません。
長年にわたって信長の威圧的な征服活動を見てきた秀吉は、内心ひそかに「ああはなるまい」と思うのです。
引用すれば…
秀吉は多年、それを見て、それに倣うことを避けていた。(7巻54ページ)
という短い一文ですが、これがギラリと光って見えました。
キラリではなくギラリです。
秀吉が信長の前でひたすら隠し通してきた本心が、この一行の中にギラリと光ったんです。
■織田と明智が一致団結
感動したのは、謀反を起こした明智軍と、謀反を起こされた織田軍が、ひとつの目的のために一致団結して事にあたった場面です。
その目的とは、皇族の救出です。
本能寺の近くには、皇族が住んでいました。
信長の息子・信忠は、皇族を戦渦に巻き込まないために、明智軍に対して一時休戦を申し入れます。
戦いよりもまずは皇族を遠くへ逃がすのが先だと考えたのです。
光秀のほうもこの申し入れを快諾。
休戦となります。
皇族は、織田軍と明智軍に固く守られながら、戦火のそとに逃れました。
■人間模様
とにかく「本能寺の変」は天変地異でした。
この天変地異の中で、人々がどう行動したのか、それを読むのが面白かったです。
ある者はいさぎよい死に様で名を高め、ある者はほんの出来心の弱気から卑怯者と呼ばれるようになり、またある者は「次の天下人は誰か?」を嗅ぎ分けていち早く行動します。
そうした人間模様が、1582年6月2日の一日に凝縮されています。
新書太閤記〈7〉